【市民リポート】上田市立美術館「農民美術・児童自由画100年展」に行ってきました!
上田市立美術館「農民美術・児童自由画100年展」 ~思いは時代をつなぐ~
上田市民リポーター南波です。上田市立美術館に来ています。
上田市立美術館(サントミューゼ)では、現在、「農民美術・児童自由画100年展」(開催期間:2019.11.30~2020.2.24)が開催されています。
展示では、版画家・洋画家として知られる山本鼎(やまもとかなえ、1882‐1946)の若き日のデッサン画や水彩画から始まり、「農民美術運動」の木片(こっぱ)人形や「第1回児童自由画展覧会」(神川小学校)での当時の小学生の作品や、現在でも山本鼎に魅了され作品を創作されている方々の美術作品など、見応えのある展示となっています。
上田駅から近く、徒歩でアクセスしやすいこともあり、多くの来館者で賑わいます。
山本 鼎
山本鼎は、愛知県岡崎市に生まれ、両親が大屋駅北側に「山本医院」を開業したことで、上田を拠点に100年も続く精神を伝える事になりました。
「児童自由画教育運動」の始まり ~思いを表現する~
山本鼎は当時、「臨本」(教科書)を正確に模写することを評価する教育を変えようと、子供の創造性を大切にする「児童自由画教育運動」を始め、神川小学校で「第1回児童自由画展覧会」を開催します。
1919年(大正8年)大正デモクラシーの自由主義も手伝い、多くの人々に影響を与えました。
「農民美術運動」の始まり ~農閑期の副業として全国に広がる~
日本農民美術研究所
山本鼎は、農家の人々の農閑期の副業となるよう、神川小学校の教室を借り農民美術の指導にあたりました。
活動を始めてから4年後には、大屋駅北側に「日本農民美術研究所」を設立。農民美術を指導する講師を全国に派遣しました。
木片(こっぱ)人形など農家の方が作った工芸品は、都市部で土産物として売られ、売れ行きは良かったようです。
全国的に広がりを見せた農民美術の作品は、作る人や土地柄でも違いがでました。
「木片(こっぱ)人形」 地域の特性が作品にあらわれている。
地域の特性を活かした作品が都会の駅などで土産物として売られた。作る人により違う作品が出来るところが面白い。
農民美術も後半は技術が向上し、デザインに富んだ作品や時計や電球が付いた実用的な作品が生まれ、自由な発想が作品の向上をもたらした。
上田市立美術館「まちなか こっぱ プロジェクト」 ~現代でも紡ぐ思い~
こっぱ人形講習会の様子
木片(こっぱ)人形は、第二次世界大戦で全国での生産は中断しましたが、戦後に農民美術連合会が設立され、現在まで製作が続けられています。
山本鼎の言葉が残っています。
「自分が直接感じたものが尊い。そこから種々の仕事が生まれて来るものでなければならない」
100年を越えても思いは受け継がれて行くのです。
上田市立美術館での展覧会の関連企画として、中心市街地のお店では木片(こっぱ)人形が展示されています。
個性豊かな木片(こっぱ)人形を探してみてはどうでしょうか?
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「農民美術運動」と現代への影響 ~創造は新たな作品へ~
(左)現代でも様々な作品が生まれている (右)ゆかたで踊る上田わっしょい
農民美術研究所では、デッサン画を元に作品にする研究が行われ、技術も向上しました。
山本鼎の精神は、現代でも様々な人に影響を与えています。
上田では映画の撮影が盛んに行われて、大正時代には上田市に映画撮影隊を誘致し、宿泊施設やエキストラを手配していました。上田を舞台にしたアニメ映画も作成されています。
文化芸術活動が盛んに行われた背景として、上田市では養蚕が盛んなこともあり、財政基盤もしっかりしていて、人の交流も盛んであったからと考えられています。農民美術展が開かれている上田市立美術館サントミューゼの名前の由来は「蚕都上田」の「サント」です。
互いに交流し、工夫を凝らして作品を形にし、未来に思いを残すことで文化芸術の発展があるのです。
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